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沖縄・那覇編 4。

憲法9条をノーベル平和賞に」 戦争をしない日本を世界に広めましょう。 原発再稼動反対。 特定秘密保護法反対。 自然が破壊される「リニア着工」反対。

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1945(昭和20)年3月6日から6月4日まで 「学徒勤労動員令」 により陸軍第二十四師団第一野戦病院の従軍補助看護婦として沖縄戦に従軍した沖縄県立第二高等女学校の生徒で編成された学徒隊。 46名が動員され、17名が戦死。 学徒隊以外の生徒と教師を合わせ66名が戦死した。 『元白梅学徒看護隊員の中山きくさん』は沖縄を

訪れた修学旅行生などに沖縄戦の体験を無償で講演しておられます。 壕を前に、中山きくさんは戦時野戦病院内という極限の状況下で体験した凄惨極まる生死のドラマを証言します。 自身の身に死が迫り、学友の多くが斃れる姿を目にした中山きくさんの語りは修学旅行生など涙を誘うそうです。 半世紀以上を経た今でも、自分たちの戦争

体験を語ることができない方たちが多いといいます。 中山きくさんはじめ「語り部」の方々は、戦争は悲惨だよと覚悟をもって記憶を伝承してゆく道を選ばれたのでしょう。  その学校の跡に建つ無念の碑です。 戦争の体験の無い安倍晋三がアメリカの言いなりに 『集団的自衛権』 という法律を成立した。 国民を戦争に参加させたい国づくりをする総理大臣だ。  

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1945年3月23日、沖縄積徳高等女学校4年生56名が豊見城(とみぐすく)村の豊見城城址にある陸軍第24師団第二野戦病院に配属された。 入隊した25名のうち3名が戦死した。 元積徳学徒隊員、仲里ハルさんの語り部として活躍中の話では。 米軍の攻撃にあいながら、犠牲者を最小限(3名)にくいとめたのは、解散命令が米軍の猛攻

がやんだあとの1945(昭和20)年6月26日に下ったからだといいます。 同学徒隊が解散に当たって病院長から受けた言葉は 「必ず親元へ帰りなさい。 決して死んではいけない」 という訓示でした。  病院長の訓示は名言として語り継がれているそうです。

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那覇・国際通り 1。

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那覇・国際通り 2。

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那覇・国際通り 3。

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沖縄・那覇港に停泊中のHolland America Line me Zaandam号。  

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by nobuyasu27 | 2014-10-30 21:08 | 沖縄・那覇編
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