カテゴリ:台湾・基隆編( 5 )

台湾・基隆編 7。

「憲法9条をノーベル平和賞に」 戦争をしない日本を世界に広めましょう。 原発再稼動反対。

平和信じ、種をまいて 今夏も広島訪問、オノ・ヨーコさん 毎日新聞 東京夕刊 2014年08月05日 特集ワイド  政治家頼らなくても、世界は変えられるウクライナ情勢は混迷の度を深め、パレスチナ自治区ガザ地区の軍事衝突で罪のない人々が命を落とす。  そしてこの国。平和主義を掲げた憲法の土台が揺らいでいる。 一人一人の人間にできることって何だろう。 会いたい人がいた。 故ジョン・レノンさんの妻で芸術家のオノ・ヨーコさん(81)である。
憲法解釈を変更して集団的自衛権行使を容認し、海外での武力行使に道を開いた安倍政権。 日米同盟を深めるためとの大義名分のもとに。  厳しい批判が聞かれるかと思いきや、またもヨーコさんは意表を突いてきた。 「政治家のすることをまともに受け取って怒るのはエネルギーの無駄。 米国にとって 『都合の良い国』 である日本は結局、米国の意向に従ってしまう。  政治家なんて私たちより偉いわけでも何でもない。 彼らを動かすのにエネルギーを費やすより、できることをすべきです。 政治家なんかに頼らなくても世界は変えられます」 【瀬尾忠義 記者】 文章は特集ワイド記事の一部です。
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台湾・基隆港を出港する『Holland America Line me Zaandam号』。 見送る人達は台湾の旅行関係者です。 次の寄港地は沖縄・那覇港です。

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基隆港は台湾第2位、世界第39位の取扱量を誇る港です。

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by nobuyasu27 | 2014-09-10 10:00 | 台湾・基隆編

台湾・基隆編 6。

「憲法9条をノーベル平和賞に」 戦争をしない日本を世界に広めましょう。


「戦争を考える」 特集。  一家で移住、父ら4人失う。
 「新天地への憧れ。そして何より家族と離れたくなかった」 旧満州(現中国東北部)への移住が国策として勧められていた1939(昭和14)年3月。 当時13歳だった中込敏郎さん(87)は父、母、姉、3人の妹と共に故郷の山梨県から満洲・千振(現中国黒竜江省樺南県)に渡った。 「今の農業経営が大変なら援助する。 無理して行くことは

ない」と叔父は反対したが、父は 「自分たちで生活を切り開きたい」と押し切った。 しかし、移住して1年後、慣れない開拓生活から父が病死。 中込さんは開拓活動には従事せず、現地の小学校へ通い、省立畜産学校では朝鮮人、中国人とともに寮生活を送った。 しかし、44(同19)年3月、大学へ入学すると、人種差別を目の当たりにする。 寮内では日本人とそれ以外の人とで分けられ、米の配給は日本人のみに許された。 大学の日系人の定員の

ほとんどが新たに日本から留学してきた者たち。 彼らが当然のように人種差別をすることに中込さんは強い違和感を覚えた。45(同20)年8月9日、ソ連参戦で中込さんら学生たちは部隊を編成。臨戦態勢の中で15日の終戦を迎えた。奥地から避難してきた難民たちは新京(現長春)の収容所に入れられた。 劣悪な環境で感染病が流行し、帰国を決めた人たちも港へ向かう途中で地元の暴徒に襲われた。 無事帰国できたのは開拓団2000人のうち半数

ほど。 中込さん一家も、姉妹たちが次々に病気にかかり亡くなり、46(同21)年7月、約7年ぶりに祖国の土を踏んだ時には母と妹と中込さんの3人だけになっていた。 帰国からほどなくして、昔の仲間とともに、満州での開拓地と同じ名前が付けられた新しい千振(那須町)の住民となった。 しかし当時そこは竹の茂る満州以上の未開の地。 開墾作業は困難を極めた。 80人ほどでの共同生活では、もめごともあったが、千振開拓団の「千振一家の精神」

という共通認識によって乗り越えた。 その精神は、千振開拓農業協同組合になった現在も受け継がれている。 協同組合の組合長を務め、子2人、孫2人に恵まれた中込さん。 「戦争により家族をはじめ、多くのものを失ったが、今振り返ると、開拓人生に悔いなし」 と締めくくった。  旧満州千振開拓団の体験談・中込敏郎さん(87)の実話。

『台湾・中世記念堂』 2。
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by nobuyasu27 | 2014-08-31 10:00 | 台湾・基隆編

台湾・基隆編 5。

「憲法9条をノーベル平和賞に」 戦争をしない日本を世界に広めましょう。

戦争を考える 元沖縄県知事・大田昌秀さん。 東京夕刊 2014年08月01日掲載の記事。
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年3月26日、米軍が沖縄本島西方の慶良間(けらま)諸島に上陸して始まった沖縄戦。 20歳以上の男性のみが徴兵された日本本土とは異なり、沖縄では徴兵年齢を満たさない14歳から19歳の若い人たちが、「鉄血勤皇隊」の隊員として戦闘に動員された。 記者とほぼ同じ年齢で隊員として沖縄戦を経

験した元沖縄県知事、大田昌秀さん(89)を沖縄に訪ねた。
●19歳で鉄血勤皇隊に 1945年当時、大田さんは沖縄師範学校で学生生活を送っていた。 寄宿舎では、勉学や娯楽で厳しい制限をうける毎日。 学校では徹底した皇民化教育を受け、大田さんも、国のために命をささげることに対し、何の疑問も抱かなかった。 そうした中、米軍の沖縄本島上陸前日の同年3月31日、大田さんを含めた沖

縄師範学校の教官と生徒が、首里城(那覇市)地下の沖縄師範学校の壕(ごう)の前に召集された。 ここで軍の少佐から、すでに徴兵年齢に達して現地入隊した者を除く沖縄師範学校の生徒386人と教員二十数人が「鉄血勤皇師範隊」として軍に徴用されたということを宣告される。 生徒たちは、徴兵年齢に満たない、法的根拠のない軍隊として沖縄守備軍の直属隊に組織された。 大田さんが19歳の時である。 鉄血勤皇師範隊は、本部隊、野戦築城

隊、斬り込み隊など任務別に編成され、大田さんは情報宣伝隊の「千早(ちはや)隊」に配属された。 任務は、東京にある大本営の発表を、沖縄の各地の壕に隠れて暮らしている住民に伝えてまわること。 その任務は死と隣り合わせだった。 艦砲の飛びかう中、「トンボ」と呼ばれる米軍の偵察機に見つからないよう、村の壕に走る。 大田さんら隊員が壕に到着すると、戦果の報告を期待する住民たちは、喜んで食事などをもてなしてくれた。 隊員の口か

ら戦果が伝えられるたびに、壕内は拍手喝采だったという。 しかし、日がたつにつれて、住民の態度も変わっていった。 大本営の発表と戦況の現状との間に明らかな隔たりを感じとっていたのだ。 「そこまで戦果をあげていて、どうして壕から出られないんだ」 と怒る住民に対し、大田さんは「今しばらくの辛抱です。 いずれ勝利しますから、米軍の心理作戦に負けて投降しないでください」となだめることしかできなかったという。   記事は中間部分を割愛。

●歴史見つめ直して 「戦争の恐ろしさは、戦争を経験した者にしかわからない」 と語る大田さんは、戦後一貫して平和活動を続けている。 当時、皇民化教育によって当然のように戦争へ参加していた若者たち。 その一人であった大田さんは「皇民化教育さえ受けていなければ、徴兵も拒否していたかもしれない」と語る。 教育の問題は、過去の問題ではない。 「現代の若者たちは、自分たちを取り巻く情勢などを、よく考えなければいけない。 しっかりと勉

強しなければ、私たちのようにまた同じ過ちを繰り返すだろう」と警告する。 ある日突然軍隊に組織され、激戦地で闘う宿命を負わされた鉄血勤皇隊員。 動員された1780人のうちほぼ半数が若い命を落とした。 私たち現代の若者が、こうした歴史を見つめ直し、深く考えなければならない。

『台湾・中世記念堂』 
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by nobuyasu27 | 2014-08-27 12:03 | 台湾・基隆編

台湾・基隆編 4。

「憲法9条をノーベル平和賞に」 戦争をしない日本を世界に広めましょう。

69回目 「不戦の誓い、揺らぐ」 長崎市長、集団的自衛権言及。  東京夕刊 2014年08月09日。 
長崎は9日、69回目の 「原爆の日」 を迎えた。 長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれ、田上富久・長崎市長は平和宣言で、安倍晋三政権が7月に閣議決定した集団的自衛権の行使容認を巡る議論に言及し 「 『戦争

をしない』 という誓い、平和の原点が揺らぐことに対する不安と懸念の声に真摯(しんし)に向き合い、耳を傾けることを強く求める」 と政府に呼び掛けた。  一方、安倍首相は 「 『核兵器のない世界』 を実現するための取り組みを、さらに前に進める」 と述べたが、2007年の第1次政権時に触れた 「憲法の規定を順守」 とする発言はな

かった。  小畑英介記者。   ここからは晋三君に俺がコメント。 長崎で広島とほぼ同文を読み上げた。  「コピーペ」 という情けないコメントである。 一国の総理が 「原爆」と「原発」の判別できない。 これ二つ共駄目でしょう。 しかも戦争の悲劇を知らない、情けない最悪の晋三君だ。

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中正紀念堂駅出口5番出口。

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國家音楽廰。 建物の内部はメインコンサートホールです。 ホールは2階から4階まで。 美しい波形の天井桟敷席があり。 2000席あります。  舞台上で目をひくのは、アジア最大のパイプオルガンです。 幅14m、高9m、奥行き3m、実に4172本のパイプがあります。 製作に2年かかったそうです。

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国家戯劇院。

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自由広場。

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中正紀念堂 1。

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中正紀念堂 2。

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中正紀念堂 3。

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中正紀念堂から自由広場方面を撮影。

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by nobuyasu27 | 2014-08-13 16:13 | 台湾・基隆編

台湾・基隆編 3。

「憲法9条をノーベル平和賞に」 戦争をしない日本を世界に広めましょう。

東京新聞 2014年7月28日 朝刊記事 加藤裕治記者  元自衛官、平和を説く 『集団的自衛権は他人のけんかを買うこと。 逆恨みされますよ』。 神戸市の街頭での泥憲和(どろのりかず)さん(60)=兵庫県姫路市=の「叫び」が、インターネット上で広がっている。 4月にがんで余命一年と宣告された元自衛官。  集団的自衛権の行使

容認が閣議決定される前日の6月30日、マイクを握った。 初対面の若者たちに交じり、解釈改憲反対のビラ配りを手伝っていた。 聞こえてくる演説を 「分かりにくい」 ともどかしく感じた。 話が途切れた時、たまらず 「ちょっとしゃべらせて」 と、頼み込んだ。 「私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました」 「自衛隊の仕事は日

本を守ること。 見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけない」 5分余りで話し終わると、自民党支持者を名乗る中年男性が 「あんたの話はよう分かった。 説得力あるわ」 と寄ってきた。  フェイスブックに全文を載せると、瞬く間に賛同する人たちが転載を繰り返し、ネット上に広がった。

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台北駅。

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台湾地下鉄車内。

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優先席。

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地下鉄中正記念堂ホーム。

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地下鉄路線図。

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中正記念堂出口地下街。

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中正記念堂地下鉄乗り場青い屋根の奥が地下鉄入り口 1。

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中正記念堂地下鉄乗り場 2。

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by nobuyasu27 | 2014-08-03 16:00 | 台湾・基隆編