カテゴリ:コルサコフ編( 2 )

コルサコフ散策

レーニン広場
旧北海道拓殖銀行大泊支店の建物からコルサコフのメインストリート・ソビエツカヤ通りをまっすぐ進んでいくと市役所がある。 その前の広場にレーニン像が立っている。 かつてソ連の支配下にあったことを象徴するモニュメントです。 コルサコフは閑散した街で、常に監視の目があるような雰囲気だった。 ダイヤモンド・プリンセスがこの地を選んだのかわからないが。 ただ、外国船が日本各地を航海する場合、最低一か所は外国へでなければならない取り決めがあるらしい。

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レーニン像。

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レーニン広場にあった、何かの記念碑。 最近造られた模様だ。

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上の記念碑の説明文。

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コルサコフ歴史・郷土博物館。 歓迎の芝居?。

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上のフィナーレ。

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道端で売っている毛皮 1。 品物の毛皮は本物のらしいが、道端で売っているので買う気にはならなかった。

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道端で売っている毛皮 2。

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道端で売っている毛皮 3。

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by nobuyasu27 | 2015-12-09 11:00 | コルサコフ編

コルサコフ・ロシアに到着

北海道のさらに北に細長く浮かぶ島・サハリン。 その南部にある、サハリン島最大の不凍港がコルサコフです。 もともとはアイヌが暮らすクシュンコタンという部落でしたが、1679 年に松前藩の出先機関が置かれてから日本人による漁場開拓が進んでいきました。 18 世紀になってロシア人がやってくるようになり、やがてクシュンコタンには監獄が設けられ、軍人や流刑民が送り込まれます。 そして当時の東シベリ

ア総督の名にちなんでコルサコフと呼ばれるようになります。 1890 年には流刑地だったサハリン島のルポルタージュ取材にやってきた作家チェーホフがコルサコフに滞在しています。 日露戦争(1904〜05 年)後、サハリン島南部は南樺太という日本領となり、コルサコフも大泊と改称され、しばらく樺太庁が置かれていました。 そして稚内との間に連絡航路ができ、1923 年には作家の宮沢賢治が大泊に上陸。

鉄道で南樺太を旅し、その時に『銀河鉄道の旅』の着想を得ました。 第二次世界大戦後、旧ソ連軍は南樺太を占領し、大泊は再びコルサコフへと改称。 その後長らく軍港として外国人の訪問が禁止されました。 しかし、ソ連崩壊後はサハリンの海の玄関口として再び開放され、現在は稚内との間に季節限定ながらも航路が復活しました。現在、サハリンの州都はコルサコフから40 キロ離れたユジノサハリンスクに置かれ、

樺太庁だったサハリン州立郷土博物館、レーニン広場などの観光名所やショッピング・スポットがあります。 一方、コルサコフにも旧北海道拓殖銀行大泊支店跡や亜庭神社跡など南樺太時代の遺構が残されており、宮沢賢治が訪れた当時の名残を求めて散策するのも楽しい時間の過ごし方です。
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コルサコフの日の出 1。

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コルサコフの日の出 2。

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コルサコフでの案内役(通訳者というべきだが、ipadに書かれたロシア語で日本語の説明文を読み上げているだけ)。

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コルサコフには韓国系ロシア人が多いらしい。韓国系ロシア人の花売り。

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警察又は役所?。

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コルサコフの政治家?。

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レーニン広場にある。何かの記念碑。

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記念碑上の部分の拡大。

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記念碑下の部分の拡大。

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by nobuyasu27 | 2015-11-30 15:56 | コルサコフ編