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兼六園 4。

霞ヶ池(かすみがいけ)
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園内で最も大きな池。 面積は約5800㎡、深さは最も深いところで1.5mあります。 栄螺山、内橋亭、徽軫灯籠、虹橋、唐崎松、蓬莱島などの名勝がこの霞ヶ池の周辺に配され、廻遊しながら四季折々の庭景を楽しめるよう配慮されています。

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同じ根元から2本生えた珍しい松。 


花見橋(はなみばし)
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擬宝珠(ぎぼうし)の欄干がある木橋。 橋から見る花の眺めがすばらしいことから、この名前がつきました。 花の季節になると、緩やかに流れる曲水に沿って、桜、カキツバタ、サツキ、ツツジなどが咲き誇り、多くの人を魅了します。 夏の緑陰、秋の紅葉、冬の雪景も見逃せません。

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明治紀念之標
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中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものです。 銅像の身長は5.5m、明治13年(1880)日本で最初に建てられた銅像といわれている。 両脇に植えられた赤松は「手向松(たむけまつ)」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものです。


根上松(ねあがりまつ)
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加賀藩第13代藩主・前田斉泰(なりやす)が高く盛った盛土に小さな松をお手植えし、松の成長にあわせて土を取り除いて根を露出させたものと伝えられています。

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by nobuyasu27 | 2013-08-29 10:00 | 金沢編

兼六園 3。

兼六園の池にかかる橋にはいろんな種類の橋がある。
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石橋の紋様が特徴。

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亀の形をした、飾り石。

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蛇の形をした石。 蛇の頭に似た積み石が2個。

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木の橋、板の継ぎ目が特徴。

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霞ヶ池 1。  兼六園のほぼ中心部に位置する、園内で最も大きな池。 面積は約5800m2、深さは最も深いところで1.5mあります。 栄螺山、内橋亭、徽軫灯籠、虹橋、唐崎松、蓬莱島などの名勝がこの霞ヶ池の周辺に配され、廻遊しながら四季折々の庭景を楽しめるよう配慮されています。

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霞ヶ池 2。

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by nobuyasu27 | 2013-08-24 16:45 | 金沢編

兼六園 2。

兼六園の散策

黄門橋
謡曲 『石橋(しゃっきょう)』 を題材につくられた橋。 青戸室石でできた反橋は、橋台石に斜めに架けられているほか、一枚石を二枚石に見えるよう立体感を持たせて細工されています。 このように独創的な手法が凝らされている黄門橋は、用と美が見事に調和した、たぐいまれな橋であると言えます。
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黄門橋

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海石塔(かいせきとう)
瓢池の中島に建つ、高さ4.1mの塔。 虫が喰ったように穴の空いた淡茶色の笠石が、六重に重ねられています。 3代藩主・利常(としつね)がつくらせ、金沢城の庭園にあった13層の石塔の一部を移したという説と、朝鮮出兵の際、加藤清正(かとうきよまさ)が持ち帰ったものを、のちに豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、前田利家(まえだとしいえ)に贈ったという説があります。
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海石塔


夕顔亭(ゆうがおてい)
瓢池(ひさごいけ)の東岸にある茶亭。 安永3年(1774)に建てられました。蓮池庭にあった四亭の一つで、当時のままの姿を今に伝えています。 本席は小間ながら、本格的な茶の湯が催せるようになっています。 また、その美しい名は、茶室内の壁にしつらえられた夕顔の透彫りから名付けられました。  文章は全て兼六園管理事務所ホームより。
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夕顔亭

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by nobuyasu27 | 2013-08-19 17:00 | 金沢編

兼六園 1。

兼六園 日本三名園の一つに数えられる、廻遊式の庭園

1、加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産。
水戸偕楽園(かいらくえん)、岡山後楽園(こうらくえん)とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。 兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。 金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれています。

2、広大な土地に、池、築山、御亭を配置した、廻遊式の庭園。
兼六園は、「廻遊式」の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法をも駆使して総合的につくられた庭です。 廻遊式とは、寺の方丈や御殿の書院から見て楽しむ座観式の庭園ではなく、土地の広さを最大に活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山(つきやま)を築き、御亭(おちん)や茶屋を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる庭園です。 いくつもの池と、それを結ぶ曲水があり、掘りあげた土で山を築き、多彩な樹木を植栽しているので、「築山・林泉・廻遊式庭園」とも言われています。

3、歴代藩主が抱いた繁栄の願いを投影。
何代もの加賀藩主により、長い年月をかけて形づくられてきた兼六園ですが、作庭における基本的な思想は一貫していたようです。 その思想とは神仙思想。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配します。 藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのです。 最初の作庭者、5代藩主・綱紀(つなのり)は、瓢池に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)の三神仙島を築きました。また、13代藩主・斉泰(なりやす)も、霞ヶ池に蓬莱島を浮かばせています。 兼六園管理事務所ホームより。

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兼六園・金沢城付近の入り口。

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桂の木。

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噴水。

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by nobuyasu27 | 2013-08-14 15:42 | 金沢編

金沢城

天正11(1583)年。 前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。 キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。 西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。 しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。

慶長7(1602)年、落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。  寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより城の構造が変化するなかで。 武家屋敷も城外へと出されました。 内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。

宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。 その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されませんでした。 細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。 現存する石川門は、この後天明8(1788)年に再建されたものです。

平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、文化5(1808)年の二の丸火災の後再建され、明治14(1881)年の火災で焼失したもので、安政頃の景観を再現しました。 (石川県ホームページより。)

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菱櫓。 高さ11.7mの石垣の上に建築されており、3階建で、約17mあります。「櫓」とは「矢の倉」とも云われ、武器の倉庫の意味ですが、ここ菱櫓は主に周辺を見張る役割を担っていました。 菱櫓という名前の通り、建物の平面は菱形で、四隅の内角は夫々80度と100度になっています。 建物が菱形の場合、柱も菱形です。


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「五十間長屋」は武器等を保管する倉庫と城壁の機能とを兼ね備えた2階建ての建物です。 ここには天井板が貼ってないので、大きな松の木の梁など、その木組みをそのままご覧いただけます。 木と木は、鉄のクギやボルトで留めるのではなく、木材に「仕口」や「継ぎ手」、或いは「ほぞ」や「ほぞ穴」と呼ばれる凹凸を造って組み合わせ、 木で

作ったクサビを打って外れないようにしてあります。 今回復元された一連の建物は、日本古来の柱と梁・桁を持つ「木造軸組工法」と呼ばれる方法で建てられ、 それに、土壁と貫(ぬき)という柱と柱を繋ぐ横木を組み合わせた「耐力壁」によって構成され、 地震に対してもきわめて丈夫な構造になっています。 (石川県ホームページより。)

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by nobuyasu27 | 2013-08-09 20:20 | 金沢編

石川門

金沢城・石川門(いしかわもん)
兼六園に向かい合って建つ石川門はかつては搦手門(からめてもん)と呼ばれる裏門でした。 2層の菱櫓と複数の門が組み合わされた枡形(ますがた)と呼ばれる複雑な構造になっており、敵が進入してきたときに勢いを鈍らせる目的で設けられたものです。 白く見える屋根瓦には鉛を使用。溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも言われています。

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石川門、兼六公園入り口から撮影。

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石川門石垣の説明。

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打ち込みハギ。 形や大きさをそろえた割石を用いて積み上げる技法。

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切り込みハギ。 石同士の接合部分を隙間なく加工して積み上げる技法。

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石川門石垣付近。

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石川門石垣付近。

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石川門。

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by nobuyasu27 | 2013-08-04 17:00 | 金沢編