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長崎 3

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シーボルトは文政6年(1823年)オランダ商館付き医師として長崎に着任しました。

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シーボルト桜の説明。

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興福寺の標識。

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延命寺の歴史及び山門について    延命寺は、元和二年(一六一六)ねん岡山より訪れた龍宜和尚が、当時長崎で流行していた疫病を治す事と港を出入りする多種の船舶の海上安全を祈願する為に建立されました。 その後まもなく、長崎奉行直々のお達しで「長崎界隈総祈願所」として宗旨・宗派にこだわらず、今でいう全市民的な盛り上がりを見せて参りました。 京都総本山仁和寺との関係も深く、代々住職は、真言宗発展の為多大な貢献をして来た

事もつとに知られております。 又、入口の山門は、明暦三年(一六五七年)第二世住職卒覚和尚の時、長崎奉行所立山役所の門をそのまま移築したもので(形式は変わっていないが、現存は門扉のみ)、当時の奉行所との親交も深かった事がうかがえます。
平成十五年五月十日 新本堂落慶に際して
医王山 延命寺第二十四世住職 堤 祐敬 謹白

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興福寺(こうふくじ)は「南京寺」「あか寺」とも呼ばれ山号は「東明山」と言います。 寛永9年(1632)第二代黙子如定禅師が建立した寺で、後に大火や暴風で大破し2度ばかり再建されました。  今の建物は明治16年(1883)に再建されたものです。

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現存する長崎の4つの唐寺では全て本堂を大雄宝殿という。

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大雄宝殿(本殿)と旧唐人屋敷門は国の重要文化財となっています。  ほとんどが中国工匠による純粋の中国建築で、資材も中国より運送したものだそうです。

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魚板(鰍魚(けつぎょ))
お坊さんたちに飯時を告げるため叩いた木彫の魚で、 正式名称は飯梆(はんぽう)と言います。  鰍魚は揚子江にいる幻の魚と言われています。

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鰍魚(けつぎょ)の説明文。

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氷裂式組子の丸窓。

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氷裂式組子の丸窓の説明文。

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黄檗宗祖唐渡三百五十年記念碑。

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虚子・藺花(きょし・りんか)句碑。
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斉藤茂吉の歌碑。

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有馬郎人の歌碑。

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東京の湯島聖堂、佐賀県の多久聖堂とともに、日本三聖堂のひとつ。  正保4年(1647年)儒者向井元升が後興善町に孔子廟と学舎等を設立しましたが、寛永3年(1663年)焼失しました。  延宝4年(1676年)立山に立山書院として再建、正徳元年(1711年)伊勢町に移り、長崎聖堂と称しました。  明治後衰退し、杏壇門と大成殿を残すのみとなったので、昭和34年現在地に移築保存されました。  学問の神様、孔子を祀る聖堂の遺構です。

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寺町イラストマップ。

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お茶屋さんの看板。

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by nobuyasu27 | 2014-04-03 19:19 | 長崎編
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